ふと思う系

歩行者による意図せざるハラスメント

仕事でも私生活でも車に乗ることが非常に多いのですが、よく交差点で「歩行者による意図せざる静かなハラスメント」のような状況を体験します。どういうことかというと、右左折(特に左折)したくて車が歩行者が途切れるのを待っている時に、歩行者側はまったく車の事情を考えないわけです。

ああ、ようやく途切れる…
と思ったら、だれか駆け込んできます。
ようし、今度こそ…
と思ったら、また誰か駆け込んできます。
もうそろそろ…
と思ったら、またまた駆け込んできたっ!

そんなことをしているうちに信号は赤になり、また待たされて同じことが繰り返されて…

しかも、歩行者が横断歩道を近づいてくるところにゆっくりであっても走り込むと警察に捕まります。車は、ひたすら待つしかないのです。その交差点の静かなる悲劇が後続の渋滞を生み、これまた道路中に悶々とした空気が。しかし歩行者側にはそんな意識はないので、慈悲ゼロ。

こういう話になると、そもそも車の私的な使用を減らすべきとか、自動運転になれば云々とかの視点も出てきますが、本質はそこではなくてですね。こういうのって、人間社会で立場が違う人々が共存する際の典型的な苦しみの構図ですね。悪気はないけれども、相手の立場が想像できない…
特に最近は車に乗らない人も増えていますので、物理的経験として交差点で待たされる苦しみが脳の記憶にない人がたくさんいらっしゃいます。

一般的には、弱い立場を守り強い立場を牽制するのが人類社会における大切なバランスなのですが、時として弱者による強者イジメみたいな状況もあります。強い立場の相手には何してもいい、みたいな面もありますね。制服着た人に辛く当たる、コールセンターに無理難題ぶつけるとかも、似たところあり。
政治家のことや大企業のことをとりあえず悪く言っておくみたいなのも、根底にはその対象になる側への想像力や配慮が欠如していることがあります。
本当はみんな、個人個人では普通に強さも弱さもある生身の人間なので、強い立場の人でも苦しみは苦しみ。変わらないわけです。

交差点に面したカフェの窓から、途切れることのない歩行者に悶々としている車の様子を見て、ふと、そんなことを思いました。
人間交差点。

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【ふと思う系】単行本(ソフトカバー)– 2015/12/10

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