2016.07.12
ウィスキーづくりを創業の地で – 本坊酒造代表 本坊和人氏(1/4)
- ウィスキーづくりを創業の地で
- 日本全体の地域活性化への視点
- 世界からリスペクトされる酒類企業へ
- 酒造りと人づくり
Chapter 1:ウィスキーづくりを創業の地で
- 古森
- 本日はお忙しいところにお時間をいただきまして有難うございます。本坊酒造さんのウィスキーづくりに新しい展開があると伺っておりますが、その根底にある経営や事業の考え方、理念、組織や人に対する視点なども含めてお話をお聞かせ願えればと存じます。よろしくお願い致します。
- 本坊
- 南さつま・津貫の地へようこそ。こちらこそ、よろしくお願い致します。今まさに出張先から帰ってきたところです。もう蒸溜所のほうは見て頂きましたか。
- 古森
- はい。一足先に土屋工場長さんから丁寧にご案内頂きました。古くからの石蔵があって、独特のたたずまいのある素晴らしい施設ですね。津貫で造るウィスキーの新しい看板も鮮やかです。遠くからでも目を引きますね。先日、鹿児島工場(鹿児島市)にある薩摩郷中蔵(ごじゅうぐら)にも伺い、色々な場所に御社の拠点があることを知りましたが、この津貫が発祥の地なのですよね。
- 本坊
- はい。現在鹿児島県内に津貫蒸溜所の他、鹿児島工場、知覧蒸溜所、屋久島伝承蔵と拠点があり、他に山梨や長野にも展開していますが、本坊酒造発祥の地はここ津貫です。窓から見えるでしょうか・・・。あの古い建物に創業者の一人である私の祖父が住んでいました。そして私も、幼いころまではあそこに住んでいたのですよ。
- 古森
- まさに今私たちがいるこの場所が、創業の地なのですね。
- 本坊
- 曽祖父である本坊松左衛門の家系が起源になっている企業は、弊社以外にも南九州を核として様々な分野に広がっています。例えば、旧南九州コカ・コーラボトリング。私も昭和55年に本坊酒造に入る前は、そこで働いていました。私の祖父の代が7人兄弟でして、長男が家督を継ぐことが常識だった当時としては珍しい「七家均等」という方針がありました。それで、7人の兄弟が役割分担・協働を通じて本坊家の経済活動を発展させていくこととなり、その後様々な企業へと育って行きました。ですから、この地は本坊酒造の創業の地であるばかりでなく、本坊家7人兄弟から継承し、代々、本坊家が経営してきた様々な企業の生まれ故郷でもあるのです。ちなみに弊社は来年で創業145周年。本坊グループの中核企業であり、その中でも弊社は最古の存在となります。
- 古森
- その象徴的な場所で、象徴的な企業である本坊酒造が新たな挑戦を・・・。
- 本坊
- はい、ここでウィスキーを造ります。創業の地で新しいチャレンジです。本坊酒造全体で見ますと、ウィスキーの原酒造りという点では長野(マルス信州蒸溜所)がありますが、これに加えて津貫。また、熟成(エイジング)については、長野、津貫に加えて屋久島の蔵も使います。おかげさまで、長野で生産したウィスキーが近年国内外で高い評価を頂くようになっておりますが、これに津貫が加わることで私共が提供できる価値も大きく広がると期待しております。
- 古森
- 生まれるウィスキーの特徴面で、なにか想定しているものはありますか?私は、2006年ごろからモルト・ウィスキーの普及活動をしているほどのウィスキー・ファンでして、実際どういうものが生まれてくるのか非常に興味があります。
- 本坊
- イメージは、あります。私は幼少のころから、この地のもつ空気感のようなものを知っています。「原酒が熟成を経てどのように変わっていくのか」ということが、なんとなく直感的にわかるのです。
- 古森
- どんなイメージですか。
- 本坊
- まだうまく言語化できていませんが、この地は鹿児島南部にありながら、盆地気候で一日の寒暖差が大きいのです。年間の寒暖差もしかりで、冬になると雪が降ることさえあります。そういう寒暖差の大きい場所ですから、熟成も早く、しっかりした特徴を持ったウィスキーが出来るのではないかと思います。
- 古森
- 安定した気候で造る通常のモルト・ウィスキーよりも、熟成環境的にはバーボンみたいな感じですね。
- 本坊
- それに加えて、津貫には古くからの石蔵があります。先行して長野の樽をこちらの石蔵に持ってきて試験的に熟成させていますが、どうなるか楽しみです。また、海が近い屋久島のエイジングセラーにも寝かせています。こちらは、潮の香りが熟成過程でどう影響してくるか、興味深いところです。
- 古森
- 海辺で潮の香りを・・・。スコットランドのアイラ島のモルト・ウィスキーみたいですね。 世界のウィスキー界に新しい価値を生む可能性がありますね。ウィスキー・ファンとして本当に楽しみです。