2016.12.28
エースは要らない!生産性改善は意識改革から – ムーンスター久留米工場長 市丸和幸氏(1/5)
- エースは要らない!生産性改善は意識改革から
- 遊び心って何ですか?マザー工場(久留米本社工場)のお愉しみ
- 人は本当にすごい力を持っている
- 人はめんどくさい生き物
- 生産性とニコニコの両立〜次世代へのバトン〜
- 「ラインに人を合わせるのではなく、人に合わせてラインをつくっていく」
- 「人間の幸せ、愉しいと思う気持ちを軸にした改革によって生産性が2倍アップ」
先日工場見学に伺った際、市丸工場長の口から出た言葉が忘れられず、是非詳しいお話をお伺いしたいと、2ヶ月後再びムーンスターの久留米工場を訪ねた。
私はリーダー層のコーチングや組織/チームに対するシステムコーチングの仕事を通して、働く人のハッピネスや関係性の質が生産性に影響するのは実感しているが、実際製造現場という最も「効率」が重視される印象の場所で、幸せ×生産性の結果を出した方と出逢ったのだ。
Chapter 1:エースは要らない!生産性改善は意識改革から
- 黒木
- お忙しいところ貴重なお時間頂きまして、有難うございます。早速ですが、マザー工場であるこちら久留米工場で生産性を2倍にアップさせたと聞きました。これまでも改善につぐ改善はなされていたと思われますが、どういう秘策があったのでしょうか?
- 市丸
- こちらこそ、今日は遠くからお越し頂きまして、有難うございます。ははは・・・、秘策なんてないですよ。愉しみながらやってきただけです。 ちゃんとお話しますと、それはまず中国工場の建て直しから話がはじまります。
- 黒木
- 是非、詳しくお聞かせください。
- 市丸
- 私が2008年に中国の青島工場で副総経理として赴任した時は、効率!効率!と私自身思っていましたし、性悪説で色々なことを厳しく管理するなど、とにかく無駄を省くことを徹底しました。実際、その工場は縫製だけを担当する来料加工工場で、工場収益を左右するのは主に人件費しかありませんでした。中国の工員の最低賃金も毎年20%アップするなど、利益を圧迫。本社の生産方式を試しても効果がなかったのです。
- 黒木
- 確かにその頃、中国工場を縮小してベトナムやタイの拠点を増やす動きがありましたね。
- 市丸
- ええ。私は青島で、考えられる手は打ったのですがなかなか成果が出ませんでした。待ったなし、追い込まれた際に「効率とは?」と改めて考えてみました。
- 黒木
- 興味深いです。追い詰められて「生産性とは?効率とは?」と改めて考えられた。
- 市丸
- はい、そこで、人の意識(やる気)が左右するのではないか?と気づいたんです。現場で働く人は元気も覇気もなかった。ちょっとできる人は他の給料のいいところに移っていたのです。
- 黒木
- 想像できます。何から手をつけられたのですか?
- 市丸
- 工員の「意識」を想像したんです。競争意識、認めてもらいたい、褒めてもらいたい、暮らしを向上させたい・・・。そこでその環境作りからはじめました。まずはコミュニケーションですね。直属の部下とひとりひとりと対話。工場の現状について良いことも悪いこともオープンにして目的を共有。通訳を介さずに伝えたかったので中国語も猛烈に勉強しました。工員の個人評価を厳格にして、更に班長の評価はチーム評価にしてチーム間の健全な競争意識をもたせて、班長・主任のやり方に裁量をもたせて徐々に信頼し任せるように。全員が結果を細かく見えるようにして、少しですが報酬にも反映させていった。これが少しずつ効いてきました。
- 黒木
- 効率を深く考えた結果、人間の意識に注目されたんですね。気合いとか励ましということではなく、しくみや環境、関係性として整えていかれたのですね。
- 市丸
- そうなんです。例えば、チーム評価と同時に品種毎に目標を設定。がんばれば達成可能なレベルで数字を細かく設定。そうすると難しい製品を作っているラインは「わかってくれている」と思うわけです。
- 黒木
- それまではそういう細かいゴール設定ではなかったのですね。
- 市丸
- はい。全体目標値はありました。いわゆる労働集約型で、工員の出入りも頻繁にありますからひとりひとりの習熟度は低く生産効率は低い前提でたくさん作って出荷して利益を得ていました。能率が低いままで残業代を出したり、品質が安定しないので検査員を多く雇ったりして対応していました。
- 黒木
- それまでは習熟を期待しない前提で評価やしくみを組んでいたんですね。そこから、細かくみて習熟度が上がるとお給料に反映させるしくみを作っていかれたのですね。
- 市丸
- はい、それはとても手間も時間もかかることなんですが。やっぱり、皆がんばりたいんです。今日もよくがんばった、充実した1日だったと思って一日を終わりたいんです。同じ人の目の色が変わる様子をみてそう実感しました。
- 黒木
- 意識を変えることに成功して利益を徐々に出していったのですね。
- 市丸
- そうです。性悪説の管理から、期待と信頼をベースにした「自律的に工夫する環境」を整える管理に変えていったといいますか。
- 黒木
- 勇気がいることですね。意図が伝わらず失敗するリスクもあります。
- 市丸
- 最初から気づけば良いのですが、あらゆる手を尽くして辿り着いたので、やってみよう、失敗したらその時にまた考えればいいと思っていました。
- 失敗も沢山あります。エース級の人が他社に引き抜かれそうになった時に最初は引き留めるため特別に報酬を上げたりしました。
- 黒木
- 何がおきましたか?
- 市丸
- これがよくなかった。工員の不公平や不満に繋がる。一人のエースをつくるよりも全体の力を上げる方がいい。エースが会社を去るのは痛いですが、自分のマネジメントの結果と受け止めて、話し合っても駄目な場合は追わなくなりました。
- 黒木
- 中国という土地でのマネジメントで日本との違いはありますか?
- 市丸
- 基本的には同じだと思っています。「意識」を活用する環境作り、目的の明確化、コミュニケーションを大切にする。大きく違うのはひとつ、中国社会は組織内の上下の差が明確だということでしょうか。
- 黒木
- 確かに中国は日本よりもずっと権威主義ですもんね。
- 市丸
- だから意見をもとめても下から何も言ってこないのは「やる気がない」のではない。上下の差がはっきりしているんですね。そこは重要です。あ、しかし中国人女性は比較的はっきり意見を言う人が多いですね。
- 黒木
- それは、また別の軸ですね(笑)
ところで、中国語を死にものぐるいでマスターしたと伺いましたが、すばらしいですね!中国に赴任されても、通訳不要になるレベルにいかれる方はあまりいらっしゃいません。 - 市丸
- 前にお話したように「意識」を活用するしかないと考えた時に、通訳を介さず直接コミュニケーションを取りたいと思ったんです。自分に出来ることはやり尽くそうと。それだけ追い詰められていたのです(苦笑)
- 黒木
- 具体的にはどんな風に学ばれたんですか?
- 市丸
- 仕事が終わった夜、週2回2時間マンツーマンでした。基本的な表現を覚えた後は、中中辞典を使って、いい回しの語彙を増やしていきました。直属の部下は5人の主任だったので、月1回の面談をしながら、相手の表現も取り入れていきました。
- 黒木
- 素晴らしい・・語学はこつこつ継続しないと無理ですもんね。中国本土にいる日本人駐在員は日本人同士で集まって日本食屋に行き情報交換している方が多いと聞きますが・・・。
- 市丸
- そんな余裕はなかったです。もちろんお客様がみえると会食はありましたが。
- 黒木
- そのような姿勢も周囲の意識変容に影響を与えていると思われます。
- 市丸
- どれだけ追い詰められていたかがわかる笑い話があるですが、「海が綺麗」なことに1年以上気がつかなかったんです。青島は海の近くで、オリンピックの時もヨットの競技場になったんです。1年くらい経過したある日、とても綺麗な水面に感動して、自分は海の側に住んでいたんだ・・嗚呼自分はそういうことさえ気づかずにいたのかと。
- 黒木
- それだけ必死だったんですね・・。
- 市丸
- お恥ずかしながら。それにしても家族の精神的支えは大きかったです。家内と子供2人よくついてきてくれました。
- 黒木
- ご家庭チームも素敵ですねぇ。そしてさまざまな格闘を経て生産効率を10%以上も上げて黒字化を達成されたのですね。
- 市丸
- ええ。本社からの支援もありましたが、1%、1%少しずつ努力と改善を積み重ねながら改革を進めました。
- そして3年で帰されず5年で良かった。改革が根付いて自分がいなくても継承されるよう育成をするには5年は必要でした。