2015.08.20
起業とパクチーハウス東京への道 – 旅と平和代表 佐谷恭氏(2/6)
- 原点は学生時代のアジア旅行
- 起業とパクチーハウス東京への道
- パクチーハウス東京からPAX Coworkingへ
- 本物の旅人を集めるために
- 東日本大震災とシャルソン
- 5年後のことは言えるけど決めない
Chapter 2:起業とパクチーハウス東京への道
- 古森
- そうした思いを根本に抱えながら、「株式会社旅と平和」の起業に至る経緯は、どのようなものだったのでしょうか。最初は企業に就職されたのでしたね。
- 佐谷
- はい。私は職業意識が全くなく、本当はアルバイトも就職もしたくなかったような学生でしたが、縁あって富士通に入社することになり、関西の新卒採用の責任者を務めました。その後、リサイクルワンの創業期に営業面で参画したり、ライブドアで報道部門(ライブドアニュース)の立ち上げから閉鎖まで記者のリーダーを務めたりもしました。
- 古森
- 大企業からベンチャー、新興大手企業まで幅広く、そして分野も人事から営業、事業のリーダーにまで多岐にわたっていらっしゃいますね。そこからなぜ、起業の道へ?
- 佐谷
- 話せば長くなりますが、要するに、自分がやってきたことや大事にしていることを世の中に伝え、生かしていくためには、自分で会社をやるしかないと思ったのです。色々な形で仕事経験を積んで、旅を続け、様々な人と会う中で、結果的にそう思い至りました。おりしも子供が生まれるという時期でもあり、ライフスタイルを自分でコントロールするという観点からも起業を決めました。2007年のことです。
- 古森
- それが「株式会社旅と平和」の始まりなのですね。最初から、「パクチーハウス東京」をイメージしていたのでしょうか?
- 佐谷
- それはまったくありませんでしたね・・・。飲食業をやろうなどとは、思ってもみませんでした。2003年~04年に英国のブラッドフォード大学大学院で平和学を専攻して、論文では「旅人が平和を作る」という考えについて書いたりしていましたので、そのコンセプトを具現化するような会社にしたいとは思っていました。
- 古森
- 具体像よりも先に、大事にしたいことや方向性を形にしたということですね。
- 佐谷
- そういうことです。そして最初に思いついたのは、「旅と平和」の方向性にかなうような人や団体を応援するためのファンドレイジング・イベントを事業化することでした。私が以前からずっとやってきているのは、要は「飲み会」なんです。人と人とのつながりや出会いを作るのは、得意とするところでしたので。
- 古森
- しかし、その事業には進まなかった・・・。
- 佐谷
- 当初考えたイベントというのは、結局は他の人が作った店を使って開催するものでした。飲食店を舞台にしてイベント事業を展開するということで、一応自分なりに飲食業について勉強をしました。そして気づいたのは、当時の飲食業界の大きな流れは「個室化」や「膝つき接客」といった、人と人との交流を生むのとは違った方向にあったのです。それが悪いというのではなく、自分のやりたいことを実現する舞台としては向いていないなと気づきました。
- 古森
- そしてついに、ご自身で。
- 佐谷
- 起業する以前から、パクチーそのものには縁があったのですよ。かつての旅の思い出の色々なところに登場するパクチーが好きでしたし、10年ほど前には「日本パクチー狂会」なるものを設立しました。ただし、パクチーの普及が私の人生や仕事のテーマではなくて、あくまでも「パクチーを題材にしたら、人が集まるかな?」というくらいの気持ちで始めたのです。やってみたら、かなり人が集まって、パクチーという題材に自信を持ちました。パクチーに関する情報発信や啓発活動、イベントなども仕掛けていきました。パクチーを軸にして話題を作り、人が集まって交流するという流れができていきました。ちなみに、「Paxi」という綴りは私の造語なのですが、「Pax=平和」という意味を込めたものです。
- 古森
- なるほど・・・。そのパクチーを軸にした活動の流れと「株式会社旅と平和」の起業の流れとは、もとは別個に存在していたわけなのですね。それが、起業後に紆余曲折を経て一つに。
- 佐谷
- はい。ある意味、私にとってパクチーというのは人が集まる場を作るための方便だったわけですが、結果的には自分でパクチー専門の飲食店を経営する流れに引き寄せられていきました。