東日本大震災とシャルソン – 旅と平和代表 佐谷恭氏(5/6)

The Value Talk 3 株式会社旅と平和 代表 佐谷恭さん

  1. 原点は学生時代のアジア旅行
  2. 起業とパクチーハウス東京への道
  3. パクチーハウス東京からPAX Coworkingへ
  4. 本物の旅人を集めるために
  5. 東日本大震災とシャルソン
  6. 5年後のことは言えるけど決めない

Chapter 5:東日本大震災とシャルソン

古森
私は、東日本大震災の被災地の復興を地元人財の国際交流力促進を通じて応援しようと考えて、はなそう基金という完全非営利の一般社団法人を運営しています。前職の経営職を離任したのも、直接的にはその活動への時間配分が主因だったのですが、震災を機に一気に東北との縁が深まった一人です。佐谷さんも、ウルトラ・シャルソンを通じて東北とのつながりをお持ちですね。シャルソン自体のそもそも論についても、ぜひお聞かせください。
佐谷
私も、震災前には東北との関係は浅いものでした。そして、震災当時は事業面でも大変な時期だったのです。「鳥獣giga」という新業態を出したのが失敗に終わり、資金的にも大きな痛手を負っていました。事業失敗で追い詰められているときに、あの震災です。パクチーハウス東京の方でも、震災後一週間はすべてのお客様がキャンセルになり、大変厳しい状況でした。
古森
それはまた本当に厳しい時期だったのですね。
佐谷
しかし、そうも言っていられませんので、撤退した鳥獣gigaの用賀の店舗を使って、実験的にパクチーハウス東京を引っ越しさせてみました。まだ余震などのリスクが高かった時期ですので、ビルの2階でエレベーターを使うことになる経堂のビルで運営するのは無責任だと思いまして、用賀の方でやってみたのです。軽トラで荷物を運びこんで。そうしたら、たくさんお客さんが来てくださって・・・・。1週間の短期間、まぼろしの「パクチーハウス用賀店」が出現したわけです。毎日やることがあって、それをあきらめずにやっていくことが大事だなと思いました。
古森
まぼろしの用賀店・・・。その後、また経堂のほうに戻ってパクチーハウス東京を再開されたのですね。
佐谷
そうです。そして、不思議なことが立て続けに起こりました。東北の被災地に行ってボランティアをした帰りの人たちが、続々と店に寄って下さったのです。ボランティアの帰路に直接です。それも、震災前からのお客様ではなく、「いつかこの店に行きたいと思っていた」という初めての方がかなりいらっしゃいました。大きな荷物を背負って、ひげを生やして。
古森
そういう人たちが、なにか共通して感じる要素がパクチーハウス東京にあったのでしょうね。
佐谷
ともあれ、被災地の実像について色々と伺うことになり、写真などもたくさん見せて頂きました。そうこうするうちに、知り合いの明治学院大学の先生から、東北大学医学部の先生が被災地で苦労されているから、佐谷さんサポートに入ってくれないかという話が来ました。でも、経営的に非常に厳しい時期で、4月はほぼ毎日自分もシフトに入っていましたし、昼間は一人でランチ営業までしていた時期です。5月も同じような状況だったので、とても東北に行く時間はなかったのです。
古森
しかし、結局は行くことに?
佐谷
はい。とても熱意のある真剣な依頼を頂きましたので、5月中にまずは行ってみようということで。そして、実際に行ってみて、「本当にここに来てよかった」と思いましたね。やはり、ニュースや人伝で知るのと、直接自分で体験するのとではまったく違いました。その時は仙台と南三陸に行きましたが、「これは、時々来なければ」と心に決めました。
古森
佐谷さんという旅人が、被災地に出会ったわけですね。
佐谷
奇縁は重なりました。大学の後輩にあたる久保田 崇さんが初の出版をしたということで、その記念パーティーをパクチーハウス東京で開くことになっていたのです。その後いろいろと物事は進展して久保田さんは陸前高田市の副市長として赴任することになったのですが、出版記念パーティーの日がちょうどその内示日になりました。2011年7月のことです。震災復興関係で様々な人が参加され、また新たな出会いが生まれました。
古森
久保田さんには、私も陸前高田で活動を開始する頃にご挨拶をして、色々とお力添えもいただきました。しかし、すごいご縁ですね・・・。
佐谷
そんなこともあって、東北被災地とは長い目で見て関わっていこうと思いました。3年もすると世間の人々は忘れていくよと言われていましたので、じゃあ私は3年後から活動を本格化させようと。それで始めたのが「ウルトラ・シャルソン」(Ultra Cialthon)です。
古森
そういう流れだったわけですね。もともと、Social Marathon(ソーシャル・マラソン)の略で「シャルソン」という活動を作りだしたのが佐谷さんでいらっしゃいますが、その活動を東北被災地に応用されたのですね。そもそも、マラソンとの縁はどのようにして始まったのですか。
佐谷
個人的なランニングは、震災の前に始めました。最初は私、ダイエット目的でマラソンをやり始めたのですが、意外に走れるものだということを感じて面白くなりました。そして、フランスのメドック・マラソンに参加して、大きな感動を受けたのです。走りを競うのではなく、各ステーションで地元のワインを飲むなどの趣向もあって、コミュニケーションにあふれた素晴らしいイベントだと衝撃を受けました。
古森
メドック・マラソン、世界中にファンが多いようですね!
佐谷
それ以来、パクチーハウス東京のお客さんでメドック・マラソンに参加したい人、したことのある人を集めて、毎月会合を開いています。「パクチー・ランニング・クラブ」という、一緒には走らないランニングチームです。その輪から出た着想で、サハラマラソンにも参加しました。マラソンに関わるようになってから、また新たに人の輪が広がっています。そうした流れの中で、発想したのがシャルソンです。「パーティーするようにマラソンしよう」というコンセプトで、2012年の2月に始めました。
古森
コワーキング・スペースのほうは「パーティーするように仕事しよう」でしたね。佐谷さんらしい一貫性を感じます。やはり、メドックで得たインスピレーションが大きいのでしょうね。
佐谷
はい。簡単に言いますと、スタート地点とゴール地点の間をどう走るかは自由で、タイムも競わないようにしています。走りながら地元の人たちとふれあい、街角で見かけたものをSNSで投稿したりして、ランナー自身が情報発信をすることが期待されています。そして、ゴール後には地元のお店に入ってパーティーをするのです。マラソンを軸にして、参加者同士、地元の人たち、そして遠隔地にいる人までも含めて、様々な交流や発見があるイベントです。
古森
素晴らしいですね。シャルソンも随分と発展してきているようですね。
佐谷
おかげさまで全国に広がりつつあり、地元を愛する人たちの手により通算70回以上開催されています。地域活性化にも好影響があるのではないかと思います。
古森
そのシャルソンを東北被災地への応援として応用したのが、ウルトラ・シャルソンということですね。
佐谷
そうなります。ご存知の通り、東北被災地の皆さまもそれぞれの「点」で色々と努力をしておられますが、なかなかそれらがつながった動きになっていかないという課題もあります。一方、シャルソンは、マラソン・イベントの形をとりながら、それらの「点」をつないで「線」にしていくことが出来る活動です。初回は2014年8月24日~28に開催しまして、釜石~気仙沼の約120kmを3日間で走り、地元の方と交流したり被災後の状況を発信したりしながら過ごしました。出発地と目的地は決まっていますが、ルートは自由にしました。
古森
コースを決めないから、参加する人にも道を選ぶ面白味がありますし、偶然の発見や出会いも起きやすくなりますね。
佐谷
時間帯によって活動の大枠は決めてあります。朝は7-9時に出発し、15時までにゴールするということに。また、16~17時にその地域で震災後活躍している首長やボランティア、現地の人などに講演していただいて、ランナーが見てきたものと照らし合わせながら、現状をSNSで発信していくのです。そして、18時からは地元の人を交えて懇親会です。
古森
東北被災地の現状を自分の体を使って感じ取り、復興にコミットしている方々との交流もあり、あくまでも自分でそこから感じたものや考えたことをSNSで世の中に発信していく・・・。そして、やっぱりここでも懇親会ですね。素晴らしいです。懇親会だけでなく、まさにイベント全体が交流にあふれたパーティになっていますね。
佐谷
こうした趣向でウルトラ・シャルソンを過去3回開催しまして、間もなく4回目になります。
古森
着々と輪が広がっていきますね。個人として充実した人生を生きる中で、社会的なものとの接点がひらめいたら、それを迷わずやってみるというスタイル、本当に素晴らしいですね。お話を伺って、私自身、東北被災地での活動継続に勇気が湧きました。
佐谷
まあ、色々理由をつけては旅に出ているということなんですけどね(笑)
古森
旅人ですからね。

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